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一 夢 庵 風 流 日 記

神道短期決戦


久しぶりに宗教ネタである、「神道」を書こうと思うが、当ブログで日本の民俗を

読んでいただいていた方は、わかりやすく入れることと思う。

なぜなら、神道とは古代から続く民俗宗教の発展と、ほぼ同等の歴史だからだ。

もっといえば、教義のようなものがない神道を知るには、古代から続く民族宗教を

理解していなければ、分からないといってよいと思う。

ということで、「神道」、数回に渡り、表面的ではあるが、少し取り上げていくとしよう。


神道とは何か?この問いに的確な答えを示すのは難しいと、神道学者は異口同音に口にする、

それは、日本民族が伝統的に継承してきた精神的な信条や日本の文化を根底から

支配する要素と神道とが不可分の関係にあるからだ。

わかりやすく例えると、作り上げた料理の中から、溶け込んでいる塩や砂糖といった

調味料だけを取り出してみよと言っているようなものであろう


一般的に定義づけると、「宗教学辞典」(東京大学出版会)には

「神道とは日本民族の神観念にもとづいて我が国に発生し、主として日本人の間に展開した

伝統的な宗教的実践と、それを支えている生活態度および理念を言う」


これに落ち着くと思われる、落ち着くという消極的な意見になるのは、神道が古来から日本の国と

個人の根底に関わってきたため、その存在のすべてを包含して語ることは難しいからだ。


つまり旧約聖書の冒頭に「はじめは、神は天地を創造された」と神の天地創造が

述べられているのと同様、神道は我が国の創世から今日までの永続した営みに幅広く

扱っていて、その軌跡を規定するのが容易ではない。


神道学者の戸田義雄は、本居宣長の説に基づきながら、神道とは人為的な道ではなく、

神の示した道そのものをいうのであるから、「神道」の呼称にその実体が如実に

示されているとし、「神代祖型を再現する永遠回帰の営み」という

「神代と人代に貫通する一枚の営為こそ神道の実体」と説いている。

この意味は、

「我が国の本は、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)

の産霊(むすび)の力によって、伊弊諾(いざなぎ)と伊弊持(いざなみ)の両神が

始められ、これを天照大神が受け行い、伝えられ、それが現世に行われているのだから、

人の造り、立てた道ではなく、神の道そのものである。その意味で、「神道」と

呼ばれるにふさわしいというのであった」
(現代宗教思想のエッセンス)からもわかる。


これをもう少し、慶次なりに噛み砕いてみよう、「この国は神の国なるぞ・・・」と言ったのは

森前首相だが、これは明らかに天皇(現人神)の国としており、少しずれていた。

神の国、神の道というと人間(特に日本人)は拒否反応を起こしやすい、それは一神教に

慣れておらず、またそういう摂理にはめこまれ動かされていると思いたくない、

当ブログでは、幾度も書いてきた、「人間や神」が「自然」に包含されているという

気持ちが強いからであろう。 これが西洋なら、「自然と人」は「神」

しもべとなるので、神の摂理といわれても、あまり違和感が無い。


では、神代の歴史から続く、日本とはなにか? それは自然神=象徴であろう。

天照大神は「太陽神」、私達は「お天道様に手をあわせる」とか「日の出と共に挨拶をする」

といった風習を持っていた。 つまり「神」=「自然」なのだ、自然の中から生まれた神が、

私達と共に、国を個人を動かしている、自然と相談しながら、住みよい街を作り出してきた

日本の根底に眠る思想、それが「神道」だと思う。 そして、その自然や、人に感謝の気持ちを

忘れてしまった現代が、様々な近代的弊害に悩まされているのは、実はごく当たり前の

結末なのだと思えてならない。



次回は、「神道の歴史」


神道とは日本の民族宗教だ、だから神道の歴史=日本の歴史、稲作農耕

国土のたたずまいと位置、歴史的宗教状況などの相関を視野に入れないと

ならない。 神道とは日本そのものを背景にして、古代から今日まで

我が国特有の神の道を脈々と受け継いできたのだ。


今日の神道を彷彿させる原型は、神道学者・平井直房によれば、

「およそ弥生式文化の時代から古墳時代にかけて形成された」となる。

そして、人々は天上界・自然界・人間界・霊界のおよぼす「森羅万象」を

「神々の体現」として享受し、神と共にある「かんながら」の道を歩んだ。

この神道の歩みに衝撃を及ぼしたのが、6世紀の仏教伝来であろう、

それは「蕃神(となりぐみのかみ)」と「国神」との対立として

有力氏族間(蘇我氏と物部氏)の対立の根拠にされてしまった。

また仏教と対置される形で、はじめて「神道(日本書紀・用明記)」

という名称が用いられたのだ。


この仏教導入に関しては、国家統治制度の整備という時代の要請に

伴って門戸が開かれ、日本の宗教界は神仏並行の時代を迎えることとなる。

7世紀初頭、「大宝律令」が制定されると、国家統治の最高府を司る

二官のひとつとして神祇官が置かれ、国家の年間祭祀が令(神祇令)

によって定められた。

8世紀に入ると、神道界は神仏習合の時代を迎える。

寺院に鎮守社を祀り、神社に神宮寺(神願寺ともいう)を建立し

さらに神は仏(本地)の仮の姿(垂迹)であるとする「本地垂迹説」

が起こり、鎌倉時代に盛んになっていった。

この本地垂迹説を理論化する教学として、「山王一実神道(天台神道)」

「両部神道(真言神道)」に代表される仏教的神道教学が誕生する。

一方、同じ鎌倉時代に神道の主体性を維持する教学として、

「度会神道(外宮神道・伊勢神道ともいう)」が説かれ、室町時代に

「吉田神道(唯一宗源神道)」が説かれている。

江戸時代に入ると、前期には「神儒一致」を唱える「儒家神道」が

盛んとなり、中期以後は国学の興隆によって復古神道の流れが主流となり

現在に至っている。 この古神道精神復活は、賀茂真淵・本居宣長などに

よってなされたものである。


明治に入って新政府は、旧幕藩体制の温床(寺院の特権)を一掃するため

神仏分離・廃仏毀釈を実施し、国家神道が形成されて宮社制度が

もうけられたが、第二次大戦後、日本を占領した連合国の対日政策である

「神道指令」により、宗教法人として再発足している。

次回は、神道の神々・・・


*かんながら=惟神
 日本人が歴史のなかで育んできた文化と暮らしに根付いた感性をよく
 あらわす言葉。神道のことを「随神の道」ともいい、「神々とともに」
 「神のご意志のままに」という意味で、日常生活を送る我々の根っこと
 なる感覚を表している。


*山王一実神道
 「空・仮・中の三諦は本来ひとつである」という天台宗の基本的教理
 「三諦即一」に基づいて形成されたのが、山王一実神道である。
 山王とは比叡山の神霊という意味であり、この「山王」の字に三諦即一が
 示されていると考える。「山」の字は縦棒3本に横棒が1本、「王」の字は
 横棒3本に縦棒が1本で書かれていることからである。
 江戸時代の初期には、南光坊天海(慈眼大師)が、天台宗の「円頓一実戒」
 や法華経の「一実乗」から、「一実」を合体させて、「山王権現は
 大日如来であり、また天照大神である」と唱えた。


*両部神道
 金剛界(こんごうかい)・胎蔵界(たいぞうかい)の両部曼荼羅の大日如来が、
 伊勢神宮の内宮(ないくう)・外宮(げくう)の祭神と同体であるとの見解を
 うちだしている


*度会神道
 古代王朝勢力の復活の立場にたって、当時の仏教中心の本地垂迹説に
 対して、神道を儒教、仏教、道教よりもすぐれた最高の教えとし
 神国思想を理論づけした。


*吉田神道
 神とは天地に先立ち,陰陽に超越する無始無終の霊的実在、この陰陽未剖、
 一念未生の本を究めるのが神道、されば唯一法のみあり二法なく、
 唯受一流にして二流あることなしと言う。唯一の神道という所以だ。


神道には、多くの神々が存在している。この様子を一口に言い表したものが

「八百万神」。それでは、主要な神々について簡単に書き連ねてみる。


我が国の神々の中心的存在として祀られる「天照大神」、日本書紀の

「天孫降臨神話」によると天照大神は、孫にあたる天津日高日子番能

邇邇芸尊(あまつひだかひこほのににぎのみこと)
に神勅を授け、

三種の神器を与えて、日本の王として天降りさせたと述べられている。

現在、天照大神(神宮では天照坐皇大御神「アマテラシマススメラオ

オミカミ」と称する)は、皇祖神として、日本の祖神として、日本各地

に祀られている神々の総氏神として、国民の大御親神として、神宮の

内宮に鎮座している。よって、大御親神として毎年家庭の神棚に祀る

神札には、神宮の大麻(神札)が氏神の神札と併せて頒布

(年間900万体)されている。



「国生み神話」で、日本のこの国土を生んだとされる男女二柱の神は、

イザナギノミコト(男神)イザナミノミコト(女神)だ。

この一対の神は、男神が伊弉諾神宮(兵庫県淡路島)に、女神が

多賀神社(滋賀県)に祀られている。


日本の国造りを行ない、天孫に国を譲った神が、因幡の白うさぎの説話で

知られる大国主命(大黒様)だ。この神は、慈悲と縁結びの神として

出雲大社に祀られている。

スサノヲノミコトは天照大神の弟神で、ヤマタノオロチを退治した

力強い神として、病魔退治や武運長久を祈る人々の信仰を集めてきた。

八坂神社・氷川神社の祭神である。


全国で約10万社ある神社の1/3を占めるとされる八幡神社の祭神は、

全国八幡神社の総本宮・宇佐神宮の縁起によるとされ、

「応神天皇(八幡大神)」といわれている。

弓削道鏡事件で、皇位を狙った道鏡を宇佐八幡宮の託宣が阻んだ話は有名。


神社には、これら一部の代表的神々のほかに多様な神々が祀られているが、

「御神体」としては、神鏡・磐座(いわくら)などがあげられる。


この「御神体」は、神自身を象徴するものではなく神が降臨して宿る所とされ、

その意味から、「御霊代(みたましろ)」と呼ばれている。また、邇邇芸尊

(ニニギノミコト)によってもたらされた三種の神器は、八咫鏡が伊勢神宮に、

草薙剣は熱田神宮に、八尺瓊勾玉は宮中にそれぞれ祀られ、なんびとも目に

することの出来ない神宝とされている。


神道の経典や教義について語ろうとすると、必ず言及される決まり文句がある。

それは「自然発生的な民族宗教である神道には、いわゆる教義は存在しない」
(平井直房)

なぜかと言うと、それは、神道が「神の道」であるからだ。

これを端的に述べている文章に、本居宣長の記述がある。

「そもこの道は、いかなる道ぞと尋ぬるに、天地のおのづからなる道にもあらず

 人の作れる道にもあらず。 この道はしも、可畏きや高御産巣日神の御霊に

 よりて神祖伊邪那岐大神、伊邪那美大神の始めたまひて、天照大御神の受け

 たまひたもちたまひ、伝へ賜ふ道なり、故是以神の道とは申すぞかし」

 (直毘霊:なおびのみたま)



このような意味合いにより、神道者は「教えの形」として神道を捉えることに

否定的考えを表しているわけだが、それは仏教やキリスト教などの教義や在り方

との比較において、「教義は存在しない」と述べられているだけであって、神道

としての豊かな教えの表現は現に保持されている。 それは、神話や祭祀を通して

語られ表現されてきたものであり、日本人の態度や慣習の中で主張されてきたもの

ということができる。


この神話を伝承する主要な文献には、「古事記」「日本書紀」を中心として

「風土記」「古語拾遺」などがある。 祭祀について著した文献としては、

「大宝令」「養老令」「延喜式」などがあげられる。 さらに「続日本紀」の宣命

(天皇の詔勅)を通して、「明浄心(あかききよきこころ)」「浄き直き心」

「誠の心」という、人間本来の基本的在り方(神道の倫理観)が説き示されている。

これらの伝統に立脚して、昭和31年、神社本庁より神道者の実践心得ともいうべき

「敬神生活の綱領」が発表された。それは以下の3カ条からなる。


.神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明き清きまことを以て祭祀にいそしむこと。

.世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと。

.大御心をいただきてむつび和らぎ、国の隆唱と世界の共存共栄とを祈ること。



この「敬神生活の綱領」には、神道(神の道)の大綱が集大成されているといっても

過言ではない。 この「綱領」に示された「明き清きまこと」の意味は、「続日本紀」

に教示されている「私心や邪心のない公平で澄み切った神の心のような心境」のことで

あり、「神のみこともち」という言葉は、「神意(神々の命ずるところ)に従って、

それを忠実に果たす者。神意を伝承する者」と解釈されている。

また、「祭祀」という語に示された意味は、狭義には儀礼などの神事を指すが、

広義に捉えた場合は常に神々と共にある、神々と共に暮らすという意味に捉える

ことができる。 これが神の道の教えの肝心でもあるのだ。




次回は最終回「神社神道と教派神道」


神道史概説   神道〈いのち〉を伝える   文化としての神道




 1.神社神道

神社神道とはかなり新しい呼称で、ものすごく簡単に説明すると明治以降台頭してきた

神道系独立教団が「神道教派・宗派神道」と称したのに対して国家の宗祀を司る神社の

神道(惟神の道)を区別するためにつけられた呼称である。

大戦後、神社は国家から離れ宗教法人として再出発し、伊勢神宮を本宗とする宗教法人

神社本庁が設立され、神社神道の名称が一般的に用いられるようになったのだ。

ちなみに江戸時代以前は特に区別する必要はなかったので、「神社」と称していた。

神道は明治期から大戦終了まで複雑な状況に陥る、国家に神道を組み込んだためである。

神社本庁が決めた規則である「庁規」のことをここで書いても、規則と呼称の羅列にな

りつまらないので、ここでは取り上げず、神社の祭神の話でもしようか。

万物創造に関するカミ・霊能上のカミ・人の霊を祀るカミ・職業上のカミ・動植物に

関するカミ・天象および地象に関するカミ・食物に関するカミに分類される神社祭神。

祭神(神徳)の名によって定められているお社の名称を数の多い順に紹介しよう、

自宅のお近くの神社はどの系統か、ちょっと調べてみるのもいいと思ったりする。

稲荷神社(五穀豊穣の護神)と八幡神社(文化を導く神)がもっとも多く、次いで

神明宮(天照大神)、天満宮(学問の神)や浅間神社(農家の守護神)、天王社(災厄

懐除の神。氷川神社、熊野神社、津島神社、八坂神社の系統の神)などがあげられる。

神道は「祭祀」が根本であり、祭祀は各神社の祭祀規定に基づいて大祭・中祭・小祭・

諸祭に分けられ、大祭は例大祭、中祭は各神社の由緒ある祭祀、小祭は大祭中祭以外の

特殊神事を言う、諸祭は神社祭祀以外の祭祀を総称し、人生儀礼がこれにあたるので、

私たちが一般的にお世話になるのは諸祭となる。

建築物の名称は行けばわかるので書かない(笑)、ぜひ行って案内図を眺めて欲しい。


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 2.教派神道

幕末から明治にかけての政治的・社会的激動期を背景にして、民衆のエネルギーによっ

て発生した神道的宗教を基盤にした新宗教に端を発する、この時代、幕府の御用宗教化

した伝統仏教系からではなく神道系から新宗教が誕生したことは、その後の大東亜戦争

の戦中戦後にかけて興起した新宗教が国家神道の系統ではなく仏教系から輩出したこと

を見ても、注目すべき事柄である

教派神道系教団は明治以降独立した13派を中心に次の5系統に分けられる。

山岳信仰系、純教祖系、禊系、儒教系、復古神道系。

5つを説明してもつまらないと思うので省く、知りたい方はメールで問いあわせしてちょ。

宗教年鑑では、神社神道系が16団体9576万人、教派神道系が80団体455万人(

これには天理教191万人を省いてある)、新教派系が107万人という氏子の数になって

いる。

明治期には神道教派が発生したわけだが、その逆に神仏分離令などにより道統が途絶えた

神道流派も存在する。 仏教系神道流派である、法華神道、両部神道(真言密教系)、

山王一実神道などがそれである。


かなり駆け足で見てきた「神道」、少しでも興味がわいてくれたなら嬉しいです。


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掛け軸 天照皇大神  わんぱく王子の大蛇退治  神話と日本人の心


06年5月29日掲載



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